いただきます、ありがとう
訓練所時代に野外訓練なるものがあり、その中の講座で 鳥のさばき方 というものがあった。とても参加したかったけど人数の関係で参加できず。
ケニアでいつか…と思ってはいたのだけど、思いの外、その日は早くやってきた。
赴任して二週間目のある日。
校長先生が鶏を片手にバイクで出勤!
あれ?今日は会議では??
「校長が集まる会議の日のランチはkuku(鶏)なんだよー」
あ、もしかしてこれからさばくんですか??
校長先生から鶏を渡されたアスカリ(警備員)のおじさんは馴れた手つきで鶏を抑える。
首回りの毛をすべてむしって、ナイフで首を切り、血を出す。
「クエー」
鶏の最後の一声に、鳥肌がたった。余韻に浸っているところに、その場にいた男性がクエーの真似をする。場が和やかになる。こういうところでも余韻にゆっくりは浸らせてくれないのだ。(笑)
Unaweza kuchinja?と唐突に聞かれ、ん?chinja?
スワヒリ語で
Chinja … 動物や鶏をさばくこと
この状況でこの言葉…!一発で覚えた。
この日はなにもできず見ているだけだったけれど、次の日は血を出しきったあとの毛をむしるところから手伝わせてもらった。
少し温もりがあったのがだんだんとひんやりしていく鶏の体。
むしったあとに少しあぶって、残った毛を取る。
このあとは、部分ごとに切り分けていく。
このときに内蔵は取り除く。
そして、驚いたことに頭から足まで鍋に入れて煮るのだ。鍋をかき混ぜると、頭や足先に出会う。
トマトや玉ねぎ、塩で煮るママ。
味はシンプルなのにすごく美味しい。
足や頭は食べないやろーと思ってたけど、ちゃんと食べてた。びっくり。
日本で鶏をさばいたことなんてなかったし、むしろ死ぬところに立ち会ったこともない。
見るのはスーパーでパックされた状態か、写真で見る鶏の姿。
実際に、さばくところを見て怖かったり悲しかったりしたけど、本当は自分が食べるものの用意を自分でやるべきだよなって思った。どこかの誰か、もしかしたら機械?に、命の終わりを任せて、自分は食べるだけ。これまでの生活に疑問を持つ良い機会となった。
帰国までに自分でさばくようになるのだろうか。